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2010年5月 2日 (日)

マイントピア別子 

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【本日のコース】 自然の家「プリーズハウス」→255→須賀公園→197→八幡浜→大洲IC→松山自動車道→新居浜IC→47→11→47→別子銅山記念館→マイントピア別子・端出場(はでば)→47→別子銅山跡→マイントピア別子・東平(とうなる)ゾーン→新居浜IC→松山自動車道→川之江JCT→高松自動車道→大鳴門橋→神戸淡路鳴門自動車道→淡路SA→明石海峡大橋→山陽自動車道→三木JCT→中国自動車道→宝塚IC→西宮

朝6時、テントの中で目を覚まします。鳥の声が天井から降り注いできます。小さな幸せの瞬間です。その後釣り人が車で来た様で賑やかな声がしたかと思うと、村内アナウンスと思われるスピーカーから元気な朝の音楽が流れてきます。とてつもなく大きな音量です。朝露に濡れたテントを畳み、出発です。

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海岸線に沿って走る255号を時速30km程でゆっくりと走っていきます。海がキラキラと輝いています。至福の時間の中にいることを実感します

長崎の軍艦島、岡山の犬島などの産業遺産が今ブームとなっています。四国にも東洋のマチュピチュと云われる『別子銅山跡』があります。阪急トラピクスから送られてくる小冊子にその素敵な姿を発見し、これは是非行きたいと思いました。佐田岬を後にして、四国カルストや土佐・龍馬であい博を開催中の高知なども候補に上がりましたが、帰路のアクセスを考慮し別子を選びました。

人の営みや生活の後が残る場所、それが産業遺産の特徴です。自然遺産は地球が創り上げたものですが、産業遺産は人間自身が作ったものです。以前、人が居て人が触っていたものがそこにあります。

新居浜ICを降り、まずは別子銅山記念館(入館料・駐車料ともに無料)に寄ります。そこで別子銅山の歴史を勉強です。1690(元禄3)年に鉱脈が発見され翌年から住友によって採掘が開始されたのが始まりです。海抜約1,200mの地帯から斜めに深く長く鉱床が続き、江戸、明治、大正、昭和と掘り続けられ、地中約1,000m掘り進んだところで地圧の増大と地熱の上昇から1973(昭和48)年閉山しました。そこには沢山の工夫の家族達が生活しており、記念館に展示してあった写真からは当時の活気が伝わってきました。記念館では写真はNGでした。でもあとで寄る東平歴史資料館で同じ写真が展示されていたのでそちらで撮らせて貰いました。

マイントピア別子・端出場は道の駅も兼ねています。ヘルシーランド別子と名付けられた温泉もあります。場内にはミニ鉄道も走っていて本館から体験型遊学パークまで5分ほどの鉱山鉄道らしい感じを味わえます。鉱山観光にはこの鉄道料金込みで大人1,200円ですがJAFを提示し団体料金の960円となります。JAFの年間費用4,000円を回収するのに必死です(笑)。

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遊学パークは採鉱を実物大の人形を使って再現していたり鉱山を巨大ジオラマで見せてくれたり、体験ゾーンでは岩をドリルで崩したり地下水を汲み出したり、子供達にとってはとても楽しいところとなっています。ただ歴史遺産に浸りたい大人にとっては一寸違うかもしれません。パンフレットにあるように正に『観光ランド』であります。

ここからさらに山の中へ車で2、30分走ったところに本日最大の目的地であるマイントピア別子・東平(とうなる)ゾーンがあります。DSCを気持ちよく走らせます。途中ループ橋があったり気分は盛り上がっていきます。ところが30分走っても40分走ってもそれらしき場所が見当たりません。どうやら行き過ぎてしまったようです。途中、引き返すライダーが2組ほど居たことに気付きました。彼らも行き過ぎ組みだったようです。

その道はTMで『急斜面を豪快に駆け抜ける山岳ワインディング』と記される通り、素晴らしい景色が広がっていました。まあ、これが見ることが出来たのでOKとします。やっと47号から東平ゾーンへ入って行く道が分かりました。行き先を示す大きな看板はなく、盾看板があるだけです。これでは多くの人が間違えるのは仕方ないと感じました

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そこからは道が狭く車はすれ違いが出来ない程です。どうやら相互走行の通行規制をしているようでしたが僕と前を走る車は新居浜方面の逆からアクセスしたのでそのルールが分かっていませんでした。車同士が双方睨み合う中、バイクの僕はその間をすり抜け先に行かせて貰いました。

標高750m程の山中には1916(大正5)年から1930(昭和5)年まで別子銅山の採鉱本部が置かれ、最盛期には3,800人余り(別資料では1万人超)の鉱山関係者とその家族が生活していました。学校の他に病院や劇場なども設けられていました。その後、1968(昭和43)年に東平抗休止によって無人となりました。1994(平成6)年にその歴史的価値が再認識され整備され直して現在に至っています。

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『東洋のマチュピチュ』と称するには一寸マチュピチュに対し申し訳ないような気がしないでもないのですが、この山の中に沢山の人たちの生活があったことを想像すると不思議な気持ちとなります。最初、駐車場にDSCを置いたときは『どこに目的の産業遺産群があるの?』という感じでした。その真っ只中にいて人に聞くのも恥ずかしいので辺りを探訪します。どうやら駐車場はその遺産群の中腹に位置し、下には貯鉱庫、選鉱場、索道停車場などの遺構が、上には学校や社宅、採鉱本部や保安本部があったようです。

当時のインクラインが現在は長大階段となっていて下から遺構群を眺められるようになっています。見上げるように遺構群を目の前にすると往時の人々の声が聞こえてきそうです。素敵です。遺構の向こうには四国の山々が連なって広がっています。

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予定ではもう1泊するつもりでしたがこの素敵な想いをそのままに帰路に着くことにしました。47号から6号経由で大豊ICへと抜けるルートも迷子になったことで諦め、来た道を戻ります。新居浜IC近くにあるうどん屋さんで讃岐うどんを食べたら、帰省ラッシュに巻き込まれない様、祈りながら高速に乗ります。

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案の定、高松自動車道で混雑がスタートし、淡路島内では洲本から30kmの大渋滞です。バイクならではのチチンプイでなんとかクリアしていきますが、神経戦となり疲れます。PAで休憩中のライダーさんとお話しますが松山のご友人とあっての帰りでこれから岡崎(名古屋)まで帰るとのことです。この大渋滞にお疲れ気味でしたので元気の素かりんとうを2本差し上げました。

待てば解消する渋滞でも無さそうでしたので再び渋滞の列に加わります。津名を過ぎてやっと車が動き出したと思うもそれも束の間、三木JCTから宝塚西トンネル付近まで渋滞は続きました。

家に到着が21時15分、総走行距離1,050km。今回も思い出に残る素敵な旅となりました。

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コメント

別子銅山記念館は全然知りませんでした。
最近はちょっとした廃墟ブームですもんね。
たしかに、東洋の○○っていうものに、そこまですごいか?と思わせられるものは多いですよね(笑)

投稿: keiichi_w | 2010年5月 6日 (木) 06時19分

僕も本物のマチュピチュに行ってはいないので
正確なところは分かりませんが
それでも言い過ぎだと思いました(笑)

マチュピチュと較べなくてもここは
素晴らしい日本の産業遺産だと思います。

山の中でとても不便なところだったので
こういう形で残ることが出来たのだと思います。

投稿: tetsu | 2010年5月 6日 (木) 21時10分

GW、充実したバイクライフでしたね♪
もうテントでも夜を越せる陽気になのですね。
「別子銅山跡」、僕も知りませんでした。
(知らないことのほうが多いのですが(笑))
今度僕もtetsuさんの行かれたコースを
走らせてもらおうかなぁ...
やはり、tetsuさんのブログは
いい旅の情報がいっぱいです!

投稿: kazuh | 2010年5月 8日 (土) 12時00分

テントで過ごす日があるとその非日常性から
旅に出てきた、と強く感じることができますね。
たとえそれが野宿でなく軟弱なキャンプ場でも。

別子銅山跡、とても素敵でした。
①別子銅山記念館、
②マイントピア別子・端出場(はでば)、
③マイントピア別子・東平(とうなる)ゾーン
が3点セットですが時間がなければ②は
パスしてもいいかもしれません。
②だけお金が掛かるので一石二鳥です。
他のブログで②だけ行った人が
これが東洋のマチュピチュ?とされて
いましたが、これは③を指しているので
間違えないようにしないといけません。

僕は今度は高山の方へ行ってみたいと
研究中です。

投稿: tetsu | 2010年5月 8日 (土) 21時52分

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受信: 2010年5月10日 (月) 19時12分

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受信: 2010年5月10日 (月) 19時21分

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