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2016年4月 9日 (土)

高野山 1日目 

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今日は宿坊で一泊します。帰り道を心配しなくても良い心に余裕を持てる時はゆっくりとその行程を楽しみます。

真新しいツーリングマップルを相棒に310から371へ。河内長野から橋本を抜け高野山を目指します。橋本から高野山へのルートはTMで『渓流と森の中 癒しのルート』とある通りの心にズバーンと突き刺さる素敵な道程です。

途中途中でDSCを止めては時間を止めてその素敵を身体一杯に受け止めます。そんな訳で中々前へと進めません。

それでも7時半に出発したので高野山上にある今宵の宿坊には11時半に到着。DSCを置かせて貰い高野山の町へとライダーズジャケットを脱いで身軽になって出発です。

西の端にある大門まで行った後、再び引き返して奥の院さんへ。結構な距離を歩いたと思います。再び宿坊に戻ってきたのが16時40分でしたので昼食も込みですが5時間強も歩き回っていました。

生きること死ぬことを自然の偉大さに抱かれながら心に染み入る様に素直に感じていきます。人間のちっぽけさを感じる時、無性に愛おしさも感じます。

奥の院の入り口には司馬遼太郎の文学碑があります。氏の洗練された無駄のない言葉たちが心地よく聞こえてきます。

『高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。山上はふしぎなほどに平坦である。

そこに一個の都市でも展開しているかのように堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥の院に僧空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている。

その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。

大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。大門からのそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。

まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。』

司馬遼太郎の言葉たちには、いつも鳥肌が立つ位感動させられます。

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