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2016年8月 7日 (日)

志村喬記念館 

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生野にある口銀谷(くちがなや)銀山町。そこには鉱山で一世風靡した生野の街があります。鉱山へは行ったことがありましたがそこで働く人たちが住んでいた町は素通りしていました。今日は「佐渡の金、生野の銀」と云われた町を訪ねてみることにしました。

まずはJR生野駅を目指します。須磨まで地道を走り須磨ICから第二神明を利用します。明石西からは無料の加古川バイパスへと乗継ぎ、別所PAを過ぎたら姫路JCTから播但連絡道路で北進する予定でした。が、昨夜みていたTVの影響で『舟歌』(八代亜紀)をヘルメットの中で「お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶったイカでいい」なんて気持ちよく歌っていたら気持ちよく姫路JCTをパスしていました。慌てて姫路東ICで下りて、来た道を折り返します。無料のバイパス故実損なしでしたがちょっぴり参りました。

播但では乗り越ししないように慎重に『舟歌』を歌います(まだ歌うんかい・・)。『雨の慕情』なんかも最高です。「心が忘れたあのひとも 膝が重さを覚えてる」 なんでこんな歌詞が思い浮かぶのでしょうか。

生野ICの出口では3台の車が列を作っていました。係の人が僕の処へ駆け寄ってきて現在ETC化が徐々に進んでいるが生野はまだ未整備なのでカードを出してほしいと言われます。今度来るときには多分スルッと行ける様になっていると思います。

目指すJR生野駅はすぐに分かりましたが外から見る限り観光客も地元人も見えずに時が止まっている様でした。DSCをゆっくりと走らせていきます。町の中心部にある駐車場にバイクを止めて町並みの中をゆっくりと歩いて行きます。

生野を代表する旧家があるミュージアムセンターを覗いていると中から声を掛けて貰います。折角なので靴を脱いで上がらせて頂きました。1階をガイドして下さり、2階はひとり自由に回らせて頂きました。

センターから徒歩5分程にある志村喬記念館でも門を潜ると奥から係の方が近付いて来られてガイドをして頂きました。生野の町の人々はみんな優しい人達です。

甲11の家が志村喬の生家でしたが今はその敷地跡だけとなっています。玄関前に植えられていた松の木だけが今も残っています。父親は元士族で生野鉱山の冶金技師、月給8百万円(現在の価値に換算して)の高給取りで裕福な家であったようです。因みに鉱山のトップは月給が30百万円(前同)との由。3男4女の次男。

志村喬の兄は横浜ゴムの社長や会長を務めあげた人物でありましたが、ふたりの大人になった兄弟の写真からは地位も名誉も関係のない仲の良い姿が伝わってきました

ガイドの終盤には映画「生きる」でブランコに乗って唄った「ゴンドラの唄」を聴かせて頂きました。

『いのち短し 恋せよ少女(おとめ) 朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを・・・』 

最後に管理棟で手作りラスクと冷たいお茶を頂戴しました。生野の町を訪ねた高倉健、そして岡田准一。トップ俳優である彼らがリスペクトして止まない志村喬。素敵な時間が流れていました。

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